

菊姫の最高峰、そして日本の長期熟成酒を語るうえで外せないのが、この「菊理媛(くくりひめ)」だ。兵庫県三木市吉川町・特A地区産の山田錦を50%以下まで磨いて大吟醸を仕込み、それを10年以上低温熟成させてから瓶詰めする。同じ蔵の鮮烈な「B.Y.大吟醸」が出来たての吟醸香を楽しむ酒なら、菊理媛はその対極——時間が酒に何をもたらすかを示す、菊姫の答えそのものである。価格は720mlで27,000〜28,000円前後と、本サイトの掲載銘柄でも別格の領域に入る。
色合いは、長期熟成を反映した深い黄金色からやや琥珀がかった色調。グラスに鼻を寄せると、カラメルや黒糖、ドライフルーツ、蜂蜜を思わせる甘く熟したアロマが幾層にも立ち上がる。出来たての吟醸が放つフレッシュな果実香とはまったく別種の、時間が醸した複雑で重厚な香りだ。香りだけで一杯ぶんの満足感がある、と言っても誇張ではない。
味わいは、なめらかで奥行きが深い。山田錦50%磨きの澄んだ旨みを土台に、10年の熟成が角を完全に取り去り、絹のような舌触りに仕上げている。日本酒度・酸度は非公開だが、熟成大吟醸の特性から+4・酸度1.3前後とみるのが妥当だろう(編集部推定)。甘みと熟成のコクが豊かに広がりながらも、後半はだれずに静かに収束し、長く気品のある余韻を残す。冷やしすぎず12〜16℃あたりで、香りと味の層をゆっくり追いかけたい。
ペアリングは、コクのある料理が好相性。ローストビーフや鴨の燻製、フォアグラといった濃厚な皿に、熟成酒の甘みと複雑さが寄り添う。食後にドライフルーツやナッツと合わせ、デザートワインのように単体で味わう飲み方もよく似合う。日常の食卓というより、特別な日の一本だ。
万人に勧める価格帯ではないが、日本酒の熟成がどこまで到達できるのかを一度体験しておく価値は十分にある。鮮烈な吟醸香を求める人には向かないが、時間の力に興味があるなら、これ以上の教材はそうない。菊姫という蔵の頂点として、編集長・丸山も「一生に一度は」と勧める特別な一本だ。